the GazettEのヴォーカルがボーカロイドに否定的なつぶやきをして炎上。ネットの世界は相も変わらず短気だ。そんなことで炎上するんだから。
「あんまりこんな事は言いたくないけど一部のリスナーや雑誌社がボーカロイドを"作品"として扱っている現状を俺は喜べない。確かに素晴らしい技術ではあるがそれで満足されては俺達は音楽を作る意味もないし大袈裟に言えばただの自慰的な物になってしまう。あんな機械とアーティストを対等に扱うなんて正気の沙汰とは思えない」
実は、でも、ボクも同感する部分が多い。ボーカロイドについては、まだまだ技術として発展途上という感じがする。有名どころだと梨本Pの『あぁあぁあぁああぁあぁああぁ』とか、ね(古い?)。「いい曲」だとは思うんだけど、ね。彼の楽曲を実際、人間がコピィして歌ったら、断然、そっちの方がよかった。つまり、梨本Pは素敵作曲家だけど、ボーカロイドの歌唱力はいま一歩といった感じ。トータルとして、まだまだ聴くレヴェルじゃない。まあ、お遊びとしてなら楽しめる。
ボクは結構、ゲームのサントラとかを買って聴く。「FF」なんかシンセサイザでオーケストラを再現しようという試みがあるのだと思う。わざわざ音程を外してきたり、アインザッツをずらしたり。そういう創意工夫が見られる。そうすることで、機械的な正確無比な色彩を排除しようとしている。
ボーカロイドも、実はそういう試みの延長線上にある、とは思う。でも、まだまだ発展途上。
たとえば、シンセサイザのヴァイオリンと生のヴァイオリンは違う。同じことはできない。似せれば似せるほど、違和感が際立つ。でも、シンセ・ヴァイオリンだったらまだ許せるかなあと思うところがあって。「ああ、似てるじゃん。がんばったじゃん」みたいな。でも、シンセ・ヴォーカルでは許せない。そういう感覚って、何だろうなあ。
もしかしたらヴァイオリニストはシンセ・ヴァイオリンを許せないのかもしれない。ドラマーはシンセ・ドラムを許せないのかもしれない。そういう傾向にはあるのかも。本物に接している人は、違和感が大きい。歌を歌うことは誰にでもできる。うまいかヘタかは別として。誰でもある意味、素人ヴォーカリスト。だから、受け入れにくいのかなあ、と想像する。
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