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ケータイでblogって打ったら「きぬふた」って変換された。うーん。「ようつべ」よりも格好いいかもしれない。

日々の雑記(きぬふた版)

   

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独自ドメインでGO!!

今の独自ドメイン(hetappi.info)を取得したときに、昔のウェブサイト(hetappi.gozaru.jpとかfantasy.kakurezato.jp)を明確には閉鎖しなかった。新しいドメインにリンクを送ることも積極的にしなかった。今となっては記憶がおぼろげで覚えていないが、多分、当時のボクとしては、独自ドメインでサイト運営をすることに不安があったり、疑問があったりして、忍者ツールズのドメインに戻る可能性を考えていたのかもしれない。何しろ、当時としては、忍者ツールズは強かったので、そこでウェブサイトを構築することは、SEO的には大きな強みだったはずだ。

今、独自ドメインでサイト運営をしている。WordPressやcgiを駆使している分、自由度は高いが、それでも、ドメインの強さはイマイチで、googleにも好かれていない。検索すると、忍者ツールズに展開していた時代のボクのウェブサイトの方が上位に来る。そもそも、積極的にSEO対策を施していないのだから、当たり前だ。

最近、自分のウェブサイトにあげた記事が、googleにキャッシュされるのが遅いな、と感じるようになった。多分、googleのサイトランクが下がって、目に見えて影響が出てきたのだろう。だから、ちょっと重い腰を上げて、SEO対策を施そうと暗躍している。6月くらいには、もう少し強いウェブサイトにしたいなあ。
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「妖怪を探す旅に行きたいよなあ」

12月になった。あっという間だ。

実は今週末、ちぃ子と旅行に行く予定だ。行き先は鳥取の境港。……そう。「水木しげるロード」である。

その昔、結婚式の準備を進めながら、「新婚旅行、どこに行こうか?」という甘い会話が繰り返される中、ボクは言い張った。「海外に行くなら神話の国ギリシアかエジプトがいいなあ。国内なら遠野か境港がいい。妖怪を探す旅に行きたいよなあ」。

そんな会話が実現し、新婚旅行の行き先はギリシアへ。エーゲ海を中心にしたクルーズがメインのツアーを蹴っ飛ばして、内陸部中心のツアーを選択した。そして今回はその第2ラウンド。鳥取の境港へレッツ・ゴー。

……ほとほと我が儘なヤツだな、ボク。でも、それに付き合ってくれるいい相棒・ちぃ子。素敵。

というわけで、旅行から帰ってきたら、写真とともに「水木しげるロード」を紹介したい。あ、ギリシア旅行の写真も紹介しなきゃいけないんだなあ。まあ、そのうち。

謎は謎のまんまに

浦沢直樹の『20世紀少年』を1巻からじっくり読み始めた。というのも、22巻が最終巻だと思って読んでみたら、まったく意味が分からなかったのだ。21巻を読んでからかなり時間が空いたというのもあるんだけど、思っていたような「解答編」みたいな結末じゃなかった。謎は謎のまま。探偵小説で犯人もトリックも明かされない感じの肩透かし。でも、きっと読み返せば犯人もトリックも分かるようにヒントはすべては読者の前に提示されているはず。そう信じての再読だ。

読み返しながら思ったんだけど、再読するときっちりと練られていることに驚かされる。いろんな複線があっちに張られ、こっちに張られ……。実は決められたレールに乗っかって物語が進んでいるような感覚がある。

まあ、浦沢直樹は『Monster』で大風呂敷を広げてしゅん、と萎んで収束したような感じもあったので、何とも言えないんだけど。でも、この『20世紀少年』は時系列があっちに飛び、こっちに飛びしながら物語が構築されていく。その手法とか、勉強になるよなあと思っているので、まあ、がんばって読んでみようと思う。基本的に「ヒキ」がうまい作者さんだよなあ(遠望)。

あぁあぁあぁああぁあぁああぁ

the GazettEのヴォーカルがボーカロイドに否定的なつぶやきをして炎上。ネットの世界は相も変わらず短気だ。そんなことで炎上するんだから。

「あんまりこんな事は言いたくないけど一部のリスナーや雑誌社がボーカロイドを"作品"として扱っている現状を俺は喜べない。確かに素晴らしい技術ではあるがそれで満足されては俺達は音楽を作る意味もないし大袈裟に言えばただの自慰的な物になってしまう。あんな機械とアーティストを対等に扱うなんて正気の沙汰とは思えない」

実は、でも、ボクも同感する部分が多い。ボーカロイドについては、まだまだ技術として発展途上という感じがする。有名どころだと梨本Pの『あぁあぁあぁああぁあぁああぁ』とか、ね(古い?)。「いい曲」だとは思うんだけど、ね。彼の楽曲を実際、人間がコピィして歌ったら、断然、そっちの方がよかった。つまり、梨本Pは素敵作曲家だけど、ボーカロイドの歌唱力はいま一歩といった感じ。トータルとして、まだまだ聴くレヴェルじゃない。まあ、お遊びとしてなら楽しめる。

ボクは結構、ゲームのサントラとかを買って聴く。「FF」なんかシンセサイザでオーケストラを再現しようという試みがあるのだと思う。わざわざ音程を外してきたり、アインザッツをずらしたり。そういう創意工夫が見られる。そうすることで、機械的な正確無比な色彩を排除しようとしている。

ボーカロイドも、実はそういう試みの延長線上にある、とは思う。でも、まだまだ発展途上。

たとえば、シンセサイザのヴァイオリンと生のヴァイオリンは違う。同じことはできない。似せれば似せるほど、違和感が際立つ。でも、シンセ・ヴァイオリンだったらまだ許せるかなあと思うところがあって。「ああ、似てるじゃん。がんばったじゃん」みたいな。でも、シンセ・ヴォーカルでは許せない。そういう感覚って、何だろうなあ。

もしかしたらヴァイオリニストはシンセ・ヴァイオリンを許せないのかもしれない。ドラマーはシンセ・ドラムを許せないのかもしれない。そういう傾向にはあるのかも。本物に接している人は、違和感が大きい。歌を歌うことは誰にでもできる。うまいかヘタかは別として。誰でもある意味、素人ヴォーカリスト。だから、受け入れにくいのかなあ、と想像する。

正義の味方、世界を救う?

小説や漫画だと、たった一人の人間が世界を大きく動かすというシーンがある。一国を救う英雄。彼の活躍により、世界は救われました……みたいな。だけど、現実はそんなに単純じゃない。

『流形の荒野』を見た。田村正和主演ということで、これは見なければ、と。でも、結局、消化不良なまんまの感じで終わってしまった感じがする。役者たちの演技はすごくいい。田村正和はいわずもがな。生田斗真も期待通り。意外と比嘉さんも上手だったし。でも、ストーリィはよく分からなかった。

何だか原作を読みたくなってしまうなあ。原作で本当にこんな風に書いていたのかなあとか。本当はもっとちゃんとした合理的な説明があったんじゃないだろうか、とか。もっと深く書いてあった、なんてことはないのかな、とか。だって、こんなんじゃ英雄になれない。野上一等書記官の決意とか行動の意味がよく分からない。もちろん、彼が英雄である必要はない。だけど、彼を英雄視する風な周囲の人間たちの感情が、いまいち、ボクに届かない。ただただ「時代に翻弄されたいい人」野上一等書記官を必要以上に美化して英雄視する周りの人間たち。そんな風に見えてしまう。

きっと、これは、あれだね。原作を読め、ということなのだ。このドラマは、松本清張の本の購買欲を掻き立てるために制作されたのだ。そして出版社や本屋さんに貢献しよう、と。つまり、まあ、そういうドラマなのだな。ふふふ。

ファンタジィは、たった一人の英雄が世界を救う。それって、ある意味、憧れるよなあ。でも、そういうのは魔王みたいな勧善懲悪の悪役が設定されていればこそ、だ。そんな風に思った次第。

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